旅先でふと目にとまる石碑。
書のたしなみもないし、まして古文書を読む力などもない。
風化しつつある文字はただの風景となって通り過ぎていく。

先日拓本を取る現場に立ち会わせていただいた。その過程を見るのは初めてだ。

水を打って宣紙を貼る。
同じように水を打っても上部と下部では乾き方が違う。貼った宣紙の下部には時間とともに水が垂れてくる。
計算しつつ仕事を進める。

種類の違う刷毛を巧みに使い、
空気が入らないよう丁寧に貼り付ける。

乾き具合を見ながら墨を打つ。
多くの道具を使い分けながら仕事は進む。

読みずらかった文字は、ついにはっきりと白く浮上り、そこに歴史が明らかとなった。

原 状

拓本後

拓本という技術が過去を明らかにする。

芸術としてその書体を復元する。
埋もれてしまった歴史を保全する。
単に拓本作品としてそこに存在する。

宣紙の風合いに取り手のリズムで墨が広がり、
白く浮上った文字からは音楽が聞こえてくる。
オリジナルの石碑から一つの独立した作品として完結する。

眺めているとその内容を知りたくなる。

そして悲しい歴史に触れることになった。
経緯などを調べていくと憤りとやるせない気持ちが並走して溢れてきた。
国家、政治の渦に巻き込まれて、犠牲になるのはいつも市民だ。

私的な碑であるのでこれ以上の言及はせずにこれで終わりにしたい。

いずれにしても拓本の持つ可能性に気が付いた有意義な一日だった。

日野楠雄さん、ありがとうございました。

:日野楠雄(Nanyu HINO)  
1961年山形県生まれ。専門は文房四宝・拓本研究。
大東文化大学・國學院大學非常勤講師。
日本拓本社代表。
筆墨硯紙及び拓本を連携させ並行して研究・調査する立場をとっている。
和紙文化研究会所属。
「和紙における墨色の変化」「和紙の拓本利用」「和紙に使う筆」などをテーマに活動。

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