“日本の「旅」を再定義する”
単なる名所を巡るだけの「観光」(sightseeing/tourism/travel/trip/jouraney)の旅ではなく、リベラルアーツの視点で日本文化の経糸を繋ぐ新しい価値観を宿した旅を提案したい。
旅、旅行、観光という言葉では説明しきれない旅概念のため、「拓旅」「啓旅」という新しい言葉を以て、日本への旅を再定義したい。
「拓旅/takuryo」とは・・・
「場」を拓く旅。観光地の名所を「点」で巡るのではなく、その「場」の持つ背景、歴史、信仰、感性に基づく旅を提案する。例えば、「富士山」を旅したいとなれば、「拓旅」ではいきなり直接に「富士山」が見える場所には行かない。
「富士山」より遠く北に鎮座する霊峰・金峰山の麓に先ず向い、遠くからの富士山を拝む。これは約1200年前のいにしえの「富士山」は噴火を繰り返しており、遠く北に鎮座する霊峰・金峰山より富士を拝み祀っていたという歴史に基づく思考である。「富士山」の持つ背景、歴史、信仰、感性に基づき「場」を繋ぎ、徐々に富士山へ近づき、最後は「富士山」の懐へ入っていく旅である。
このような旅により、ただ「富士山」を見るだけでなく、本質的な意味での「富士山」との出会いとなる。単なる「観光」と「拓旅」の旅の解像度の違いは歴然たるものがある。
「啓旅/keiryo」とは・・・
「人」をたずねる旅。自己の啓く旅。
拓旅が「場」の概念とすれば、啓旅は「人」の経糸を求める旅となる。
「人」とは、例えば歴史上の人物などを想定する。
現状の観光地を大別すれば「場」に基づく地か、「人」に基づく地に分けられる。
「人」に軸をおいた旅を「啓旅」と再定義したい。
例えば、戦国の英傑「武田信玄」を啓旅の中心に据えたとする。
一般的な観光といえば、武田神社やお墓のある恵林寺、関心の高い方でも甲府五山(円光院、長禅寺、東光寺、能成寺、法 泉寺)をお参りするくらいである。
「啓旅」では、信玄公の心の拠り所や信仰などの経糸を尊重する。甲斐源氏の安田義定への尊崇や滋賀県園城寺、長野県諏訪への信仰なども見逃せない。信玄公の経糸にふさわしい旅を設計するには山梨県だけでは難しく、有機的に各地を繋ぐ必要がある。
「拓旅/takuryo」と「啓旅/keiryo」は、明確に区分すべき類のものではなく、それぞれが複雑に関係し合い、その旅の質(クオリティ)を純化する。
単なる「旅、旅行、観光」ではない、経糸の通った本質的な日本の旅である「拓旅」「啓旅」という新しい価値観の提案でもある。