浮上がる歴史

2020.03.18

旅先でふと目にとまる石碑。
書のたしなみもないし、まして古文書を読む力などもない。
風化しつつある文字はただの風景となって通り過ぎていく。

先日拓本を取る現場に立ち会わせていただいた。その過程を見るのは初めてだ。

水を打って宣紙を貼る。
同じように水を打っても上部と下部では乾き方が違う。貼った宣紙の下部には時間とともに水が垂れてくる。
計算しつつ仕事を進める。

種類の違う刷毛を巧みに使い、
空気が入らないよう丁寧に貼り付ける。

乾き具合を見ながら墨を打つ。
多くの道具を使い分けながら仕事は進む。

原状
拓本後

拓本という技術が過去を明らかにする。

芸術としてその書体を復元する。
埋もれてしまった歴史を保全する。
単に拓本作品としてそこに存在する。

宣紙の風合いに取り手のリズムで墨が広がり、
白く浮上った文字からは音楽が聞こえてくる。
オリジナルの石碑から一つの独立した作品として完結する。

眺めているとその内容を知りたくなる。

そして悲しい歴史に触れることになった。
経緯などを調べていくと憤りとやるせない気持ちが並走して溢れてきた。
国家、政治の渦に巻き込まれて、犠牲になるのはいつも市民だ。

私的な碑であるのでこれ以上の言及はせずにこれで終わりにしたい。

いずれにしても拓本の持つ可能性に気が付いた有意義な一日だった。

日野楠雄さん、ありがとうございました


:日野楠雄(Nanyu HINO)  
1961年山形県生まれ。専門は文房四宝・拓本研究。
大東文化大学・國學院大學非常勤講師。
日本拓本社代表。
筆墨硯紙及び拓本を連携させ並行して研究・調査する立場をとっている。
和紙文化研究会所属。
「和紙における墨色の変化」「和紙の拓本利用」「和紙に使う筆」などをテーマに活動。

「天才に天職」 ~その壱~

2020.03.10

ある職業が要求する‘すべての要素’を持って生まれ、‘その職業に就き’あくなき努力を重ね、
並ぶことのない実績を積み上げる。

神に選ばれ、職業に選ばれる。

天才に天職。

時にそんな人物が生まれてくる。
彼はイチローと言う登録名で野球界にその存在を知らしめた。
抜群なセンスと華奢な体でメジャーリーグに渡った。

筋骨隆々のパワータイプがフルスイングでホームランを打つ。
2m近い大男が160㎞を超えるストレートで三振を獲る。
そんな欧米人が持つベースボールの価値観とは全く違った発想で結果を出し、そして人々を魅了した。

そのアメリカでの実績と軌跡からイチロー氏を『野球道の始祖』と言っていいのではないか。
私は勝手にそう思っている。
イチロー氏について研究したこともなく野球もど素人の私だが、勝手に考察しイチロー的野球道を分析してみたい。

その道がたどり着く場所は。

相手チームより1点だけ多く得点し試合を終了させるために、自分のやるべきこと、やれることをやる。
そのためにまずは、己をしっかりと深く知る。
分析した結果、その時その時に必要なことを実践する。
それを淡々とやり続ける。
これが私の考える、イチロー的野球道の基礎だ。

そしてアメリカへ渡ったことにより、一層際立ったのがイチロー氏の背景にある『日本的なもの』だ。
バッターボックスでの立ち姿はまさに「侍」。

美しかった。

また、道具の扱い方は職人的で実に丁寧だ。
使い方も徹底的に研究したであろう。

昔から日本と欧米では、道具に対するアプローチが大きく違う。
欧米では、まず道具を合理的に良くしていく。
そう。使いやすいように。

ところが日本人は多少使いづらくても、使い方や技術を徹底的に研究し磨いていく。ちょっと合理性に欠ける道具でも、だ。

それが「道」に通じていく。
イチロー氏の日本的なもの。

例えばバットの使い方。
バットをテニスのラケットと同様のレベルで使いこなす。
バットコントロールは、テニスのプレースメントレベルで考えていたと思う。

面の広いラケットと同様にバットを使いこなし、テニスと同じような細かいプレースメントを野球に持ち込んだのだ。(きっと)
バットの芯に当てるだけではなく、より多くのポイントを意識して利用する使い方だ。
左中間、二遊間といったレベルではなく、かなりピンポイントな狙いだ。
そしてそのバッティングは、次の動作や走塁を見据えたプレースメントの完成と位置付けていたと思う。

また、いつも戦略的で想定するプレーの確率を精査していた。
どうしたらよい結果を生むのか。
最適な自己の対応は何か。

爽快なヒットを狙わずに、わざと詰まらせて脚でファーストに生きる。
守備のリズムを崩すことまで考慮していたのだろう。
なんとも相手にとって嫌な選手である。
すべてのプレーがそのイチロー的野球道に基づくアウトプットであっただろう。

ずいぶんと長く楽しませてもらった。
時には野球道から外れた、エンターテインメント的なサービスも忘れずに。

勝手な分析で、本人はさぞかし不満かもしれないので直接会って話が聞ければ嬉しいのだが。

そうだ。

現役に復帰してくれないかなあ。

喫茶去に至る

2020.02.14

「禅と書」喫茶子をめぐる対談 ウィリアム・リード×古川賢周老大師

”コラム:喫茶去に至る”
合同会社和の杜代表

 

西島の笠井伸二さんが漉いた大判の和紙に、どんな言葉を書くか思案していた。
そこに「喫茶去」という禅語が目に留まった。
これは座りが良さそうだ。紙、筆どちらのサイズにもちょうどよい。
紙の質感にも合うだろう。

ー趙州喫茶去 引用ー
師問二新到。上座曾到此間否。
云不曾到。
師云。
「喫茶去」
又問。那一人曾到此間否。
云曾到。
師云。
「喫茶去」
院主問。
和尚不曾到教伊喫茶去即且置。
曾到為什麼教伊喫茶去。
師云院主。
院主應諾。
師云。
「喫茶去」

市井の凡人は下記のように解釈してみた。

~至る、至らざる、無~

修行に初めて来た僧も、何度か来た僧も、長く務める僧であっても終わりに至ることが無い。終わったと思っても終わりではない。道は変遷し続く。寄せては返す波に時に乗り、時に逆らい、そして波は止むことはない。

たとえオリンピックで金メダルを取ったとしても、それは「至る」ではない。参加者との横の比較で金メダルを獲得したに過ぎず、自分自身における縦の比較ではまだまだ「至らざる」とも言える。

とはいえ、金メダルは取ったから。

 喫茶去。

 まあお茶でも飲んで次の一歩を始めましょう。

オリンピックで四度頂点に立った伊調馨さんはまだ現役を続けるという。

まさに喫茶去。

昨年、境内にて喫茶去を書くイベントを行った際に、古川老師が行った恵林寺講座、禅語の解説で一番に選んだテーマが「喫茶去」であったと知った。

従前に打ち合わせもせずに、書に「喫茶去」を選んだのは必然的偶然だなあと遠くに視線が行った。英単語では‘serendipity’ ‘synchronicity’がそんな意味である。

説明しようがない偶然に出会うことがある。

広く開かれた心を持っている人には、ほんのり幸せな偶然がたびたび訪れるのではないだろうか。そのただの偶然は時として得難い新しい価値を生み出すものなのだろう。

さて趙州(じょうしゅう)禅師(778年~897年)は唐代に生きた。

百二十年もの長き人生は、あくなき追及、終わりのない修行の精神が可能としたか。

六十歳で新たな修行の旅に出たという。

歳月にのまれずに日々を送るその姿勢は良い刺激を与えてくれる。

ちょうどこの時代、陸羽(りくう)(733年~804年)によって最古の茶書と言われる「茶経(ちゃきょう)」が書かれた。おかげで趙州禅師の時代の飲茶がどのようなものだったかを知ることができる。当時は乾燥、固形化された餅茶(せんちゃ)を粉にして煮出すお茶だったようだ。輸送を考慮した製法として餅茶状態が都合よかったとのこと。お茶は取り巻く環境によって次々と変化していく。

おかげで今日私たちはおいしいお茶が飲める。

お茶は徐福伝説の時代、すでに薬として入って来たかもしれないが、飲茶の習慣は遣隋使、または遣唐使により日本へ伝わったようだ。その後、栄西の「喫茶養生記(きっさようじょうき)」を経て、深く日本文化に浸透した。

ヨーロッパでは、東インド会社設立によりその幸せな瞬間は訪れた。

イギリスの医学博士ジョン・コークレイ・レットサムは、その歴史を「茶の博物誌」(1772年)にまとめている。偏見甚だしい記述もあるが、丁寧な解説と絵は、博物誌として一読の価値はある。

お茶に対して懐疑的な見方をする人々の間では、緑色は緑青を利用した着色などと風説が広まったことが書かれている。新しいものを受け入れるのにはそれなりの時間を要する。

また、お茶の輸入について、当初はオランダを通し日本からが主で、次第に中国に代わっていったとの記述がある。鎖国がなければイギリスの飲茶習慣は紅茶ではなく、抹茶や煎茶だったかもしれない。とかく文化も政治的な影響は避けられない。

西欧ではお茶の味と効能に焦点が当たり広まったが、日本では思想、哲学、精神性が加わって独自の発展を遂げていった。一般的に茶の湯は、珠光(じゅこう)、紹鷗(じょうおう)、利休を経て完成したといわれている。イギリス人がはじめてお茶を飲んだ時点で、既に文化芸術としてのお茶が完成していたのだ。これは世界に誇ってよいだろう。異文化圏の人々に「私たち」を伝えるのに最も良い道具が、茶の湯であることはすでに「茶の本」で岡倉天心が指し示している。

ところが現代の茶の湯は形式的、興行的で、成立期のような価値を生み出していないとの批判をたびたび目にする。それは致し方ない部分もあるだろう。

剣を枕に生き抜くことに必死な時代、茶室で膝附合わせた友が突然戦場の露と消える無常さをも栄養にして成立していくわび茶の世界を、現代に実現するのは不可能なのかもしれない。

とは言っても守るだけになった伝統はいつか忘れられてしまう。

やはり現在進行形でなければ。

さて。

禅、墨蹟(ぼくせき)、茶の湯を支える精神文化を、現代の視点で掘り下げる対談は、静を動とする端緒となるような示唆に富んだ話になるに違いない。

それでは、

喫茶去。


〈参考図書〉

「茶経(ちゃきょう)」・・茶経 全訳注(講談社)布目 潮フウ(ぬのめ ちょうふう) 著

「喫茶養生記」・・栄西 喫茶養生記(講談社)古田紹欽(ふるた しょうきん) 著

「茶の博物誌」・・茶の博物誌―茶樹と喫茶についての考察(講談社)

ジョン・コークレイ・レットサム 著  滝口明子 訳

「茶の本」・・・茶の本(岩波文庫)岡倉 覚三 著 村岡 博 訳

※このイベントは2022.02.22に終了いたしました。