ペンとノートを買う

どんな時も、私はまず手書きでノートに向かう。
デジタルツールがいくら便利だとわかっていても、最初の一歩はペンを握ることから始める。
プレゼン資料であろうと、社内提案書であろうと、まずはペンと紙だ。

手書きの線や文字がノートに広がる様子を眺めていると、アイデアが次々と湧いてくる。
それがたとえ雑然としていても、なぜかデジタルで一歩目を踏み出すより、心地よく思考を展開できるのだ。

私の性格だろうか。枠組みや制約を嫌う天邪鬼な一面が影響しているのだろう。
そして、もう一つ。私は文房具が好きなのだ。
新しいペンやノートを手に取るだけで心が踊る。
道具を揃える、その小さな儀式が、私の創作の原動力になっているのかもしれない。


最近では、私を後押ししてくれる研究も増えてきた。
プリンストン大学のパム・ミューラー博士とUCLAのダニエル・オッペンハイマー博士の研究によれば、
手書きでノートを取った学生は、タイピングでノートを取った学生よりも、情報を深く理解し、記憶にも長く留められるという。
手書きは、単なる記録の行為に留まらず、脳全体に負荷を与え、理解を深め、創造的な思考を促すのだそうだ。


私が手書きに魅了されるのは、その自由さゆえだろう。
コンピュータの画面上では、フォントやフォーマットに縛られてしまう。
けれど、紙の上では、線がはみ出そうが、文字が歪もうが、何も問題はない。
自分の思考をそのまま描き出せる場所、それが紙の上だ。
アイデアが形になり始めるとき、その不完全さがかえってクリエイティブな力を引き出してくれる。
そして、余白も語り掛けてくる。余白が持つ無限の力。デジタル画面には決して再現できない空間の豊かさがそこにある。

2024年10月にナショナルジオグラフィックに掲載された「手書きの科学」という記事も興味深い。
この記事は、手書きがいかに脳全体を活性化させ、記憶力や集中力を高めるかについて科学的に掘り下げている。
もし興味があれば、ぜひ読んでみてほしい。


手書きの力が際立つのは、感情を伝える場面だ。
株式会社NTTデータ経営研究所の報告によれば、手書きの文章は受け手に「時間と手間をかけてくれている」という印象を与えるという。
その手間がポジティブな印象をもたらし、書き手の人となりを深く感じさせるのだ。
筆圧や文字の形、その不均一さにさえ、書き手の感情が宿る。
手書きの温かみは、現代のデジタル社会の中で、むしろ輝きを増しているように思える。


セミナーで書字を取り入れる理由もここにある。
筆を握り、和紙に文字を書くという行為は、単なる「知識」の提供を超えた体験を参加者に与えるからだ。

例えば先日行ったセミナーのテーマ、「率先垂範」という言葉を書くとき。
墨を磨る音、柔らかな筆を和紙に滑らせる感触、そして滲む墨の繊細な動き。
それら全てが、言葉に込められた重みを再認識させる。
このプロセスを通じて、文字の奥にある精神を心と体で感じ取る時間が生まれる。


手書きは単なる記録方法ではない。
それは、私たちの脳と心、そして他者とのつながりを再発見するための「道具」だ。
次にノートを開くとき、その温かさがどれほどの可能性を秘めているか、少しだけ思いを巡らせてみてほしい。
それは、ペン先から始まる小さな革命かもしれないのだから。


さて、次の一歩を踏み出す準備をしよう。
帰りがけにペンとノートを探しに文具店へ。



その瞬間から、あなたの革命が始まるのだ。